近畿
伊勢うどん 三重
太く、柔らかい麺と、つゆではなく、タレと呼ばれる黒く濃厚なかけ汁。これが三重県伊勢地方に伝わる「伊勢うどん」の特徴です。「伊勢うどん」の原型は、江戸時代以前からすでにあったと言い、当時の農民は地みそからできた「たまり」をかけて食べていたのだそうです。明治以降は、伊勢参りの街道筋で旅行者にも人気を博したようで、中里介山の代表作『大菩薩峠』(大正2年~昭和16年)には、「このうどんを生きているうちに食わなければ、死んで閻魔(えんま)に叱られる」と、土地の人に言われているエピソードが紹介されています。
「伊勢うどん」の極太麺は、ゆでる時間が非常に長く、通常のうどんが15分程度なのに比べ、その3倍ほどもかかります。中にほんの少し芯を残す程度までじっくりゆでることで、ふんわりと柔らかな食感が楽しめます。タレは、あじやカタクチイワシなどの煮干し、かつお節、昆布などのだしに、たまりやみりんなどを加えて作ります。真っ黒な見た目は辛そうに見えますが、意外にあっさりしています。具をあまり入れないのも特徴で、今でもねぎだけのシンプルな「素うどん」が人気です。
和歌山ラーメン 和歌山
地元では「中華そば」と呼ばれ、ラーメン専門店のほか大衆食堂でもよく食べられている「和歌山ラーメン」。戦前の屋台から発祥したと言われますが、「和歌山ラーメン」として全国に知られるようになったのは1990年代後半からで、地元の有名店が東京へ出店したり、TV番組で紹介されたのがきっかけとなりました。
麺はストレートの細麺、味はとんこつベースのしょうゆ味が基本です。具はチャーシュー、メンマ、青ねぎなどのほか、かまぼこ(又は千代巻という蒸しかまぼこ)が入るのが変わったところ。更に特徴的なのは、一緒に食べるのがチャーハンでも餃子でもなく、「早寿司(早なれ寿司)」であること。早寿司とは、紀州名物「なれ寿司」(サバなどの魚を、塩・米で発酵させたもの)の、まだ十分に発酵させていないもの。和歌山のラーメン店の多くには、この早寿司がテーブルに積まれています。そこから好きなだけ取ってラーメンと一緒に食べるのが和歌山スタイル。そのため、ラーメンの麺の量はあらかじめ少なめなんだとか。ラーメンとお寿司を一緒に食べる文化は全国的にも珍しいかもしれません。
生麩 京都
小麦粉を水にさらしてもんでいくと、でんぷんが流されて、まるでガムのような弾力のある物質が残ります。これが「グルテン」です。このグルテンに餅粉を混ぜたり、蒸したりゆでたりして作る「生麩」は、京料理には欠かせない伝統的な食材。生麩を使った精進料理は、京料理のほか、加賀料理(石川県)が知られています。
もちもちとした独特の食感をもち、わさびしょうゆでお刺身風にいただいたり、油で揚げてみそを塗って田楽にしたり、お麩自体が料理の主役になることもあれば、「手鞠麩」や「花麩」のようにお膳に美しい彩りを添えることもあり、また、あんこを包んだ「麩まんじゅう」のような菓子になったりと、さまざまな変化が楽しめます。京都や金沢を訪れたら、ぜひ味わってみたいものです。
おだまき蒸し 大阪
「おだまき蒸し」は、うどんが入った茶碗蒸しのこと。元々は1600年代の後半、長崎の卓袱(しっぽく)料理のメニューとして生まれたという説がありますが、これが大阪に流れて流行し、幕末に江戸にも伝わったと言います。「おだまき」は「小田巻」と書くこともありますが、「苧環」とする説が有力のようです。苧環とは、紡いだ麻糸を空洞ができるよう丸い輪に巻いたもので、これが茶碗蒸しの底にしかれたうどんの形に似ていることから名付けられたようです。
「おだまき蒸し」は、かつての大阪では年末から正月にかけての祝いの席でよく食べられたと言い、うどんの台に、鶏肉、さわらやあなごなどの魚介、しいたけ、くわい、ゆり根、銀杏などの野菜、かまぼこなどの具をたっぷりのせ、だし汁で溶いた卵液をかけて蒸し、仕上げに柚子やみつ葉を散らします。豪華な具材を多く使用し、調理に手間や時間がかかることから、高級料理として大阪船場あたりで人気があったと言います。
たこ焼き 大阪
気軽に食べられる庶民の味方で、おやつに良し、ビールのお供にまた良しの“コナモン”の王道と言えば、やはり「たこ焼き」。このたこ焼きが大阪に登場したのは意外に新しく、明治時代に東京で生まれた「もんじゃ焼き」の、水分を少なくした「どんどん焼き」が関西に入ってきたことが、そのルーツと言われています。やがて大正以降、丸いくぼみのある鉄板で一口サイズに焼きあげられた「ちょぼ焼き」や、その後には「ラジオ焼き」と呼ばれるおやつが大阪で生まれました。「ラジオ」の名が冠されたのは、ラジオが当時の最先端だったこととか、ラジオのツマミに似ていたからなどという説があります。この時点ではまだ中にたこは入っておらず、具はこんにゃくやスジ肉だったそうです。たこが入れられるようになったのは、昭和10年ごろ、明石焼きにヒントを得てからのことだと言います。
たこに天かす、紅しょうが、大阪風のだしをしっかりきかせた生地を手際よく、表面カリカリ、中身はとろ~り焼きあげたら、甘いソースをたっぷり塗って、あとは青のり、かつお節でできあがりです。
お好み焼き 大阪
小麦粉をだしで溶いた生地に、キャベツ、青ねぎ、天かす、紅しょうが、卵などを混ぜ込んで、鉄板に流すとジューッという、美味しそうな音が。豚肉をきれいに並べたら、良いタイミングで返します。両面がこんがり焼けたら、たっぷりのソースと、かつお節、青のり、お好みでマヨネーズ。これが代表的な関西風お好み焼きの作り方。生地に長いもや大和いもを加えると、仕上がりもふっくら、美味しく焼きあがります。
関東では客自らが鉄板で焼くスタイルのお好み焼き屋さんが多いのに対し、関西はお店の方が焼いてくれるのが大半。また、ご飯や漬物がセットになった「お好み焼き定食」も見かけます。魚貝類、もち、チーズなど、具のバリエーションが豊富なだけでなく、焼きそば(蒸した中華麺)を混ぜる「モダン焼き」、たっぷりの青ねぎ、牛すじ、こんにゃくなどで作る「ねぎ焼き」、豚肉と卵で作る「とんぺい焼き」と、オリジナリティ豊かなメニューも楽しく、さすがは“コナモン”の本場という感じです。
きつねうどん 大阪
「きつねうどん」は明治時代、大阪に開業したうどん屋さんが「いなり寿司」を参考にして考案したと言われています。しょうゆとみりんで煮込み、ふっくら柔らかく仕上げた大きな油揚げがうどんにのっかります。讃岐うどんなどに比べると柔らかめの麺、甘辛い油揚げ、そして関西ならではのつゆが絶妙な組み合わせ。特に、かつお節やサバ節、昆布などのだしがきいたつゆは、最後まで飲み干したくなる味です。うまい、安い、早い──その合理的なところがいかにも大阪らしい名物です。
ところで大阪で「きつね」と言えば、それは「きつねうどん」のこと。関東で言う「きつねそば」(油揚げ入りのそば)は、大阪では「たぬき」と呼ぶことが多いようです。揚げ玉(天かす)が入る関東の「たぬきうどん」は、大阪では「ハイカラうどん」と言うことがありますが、そもそも天かすは無料サービスのお店が多いので、「すうどん(かけうどん)」ということで事足ります。一方、京都で「たぬき」と言うと、刻んだ油揚げ入りのあんかけうどんを指すことが多く、刻んだ油揚げが入ったうどんは、大阪では「刻みうどん」…それぞれの地域で呼び方が異なります。
串カツ 大阪
大阪浪速区の新世界が発祥と言われる「串カツ」。小ぶりに切った肉や魚介類、野菜を串に刺して衣に通し、パン粉をまぶして揚げた料理です。
関東では「串揚げ」と呼び、豚肉を3~4cm角に切ったものと、玉ねぎもしくは長ねぎを切ったものを交互に串に刺し、トンカツの要領でパン粉をまぶして揚げます。
おまかせでさまざまな食材が次々と揚げられるスタイルや、コース料理になった高級店もありますが、大阪では立ち食いのお店も少なくなく、庶民感覚の食べ物の代表格。カウンターにはなみなみとバットに注がれたソース。このソースを揚げたての串カツに浸していただきますが、ソースは複数のお客さんで共有して使うので、「ソースの2度浸け禁止」が基本となります。また、口をさっぱりさせてくれる、生のキャベツがサービスで出されるのもポイントです。
「串カツ」の作り方は普通の揚げ物と変わりません。串に打った具に生地となる小麦粉をからめ、パン粉をまぶして揚げますが、ソースとなじみやすくするために、小麦粉の生地は少し濃いめにすることが多いようです。このため、具材の味や食感だけでなく、小麦粉生地の香りや旨味も楽しめます。
元々は、「牛カツ」や「トンカツ」だけだった「串カツ」も、現在は肉だけでなく、魚介や野菜、四季折々の食材と、具材も豊富になりました。
また、肉を巻いたアスパラや、具とチーズを交互に串に打ったものや、フォアグラ、アイスクリームなどのユニークなメニューも見かけます。職人のアイデア次第でメニューが無限に広がるのも楽しさの一つ。揚げたてのアツアツをほおばりたいものですね。
いか焼き 大阪
大阪を代表する“コナモン”と言えば、やはり「たこ焼き」でしょうか。「いか焼き」は、たこの代わりにいかが入っている、丸い食べ物ではなく、縁日などで見かけるいかの姿焼きとも異なります。
固めに溶いた小麦粉にいかの切り身を混ぜ合わせ、上下に鉄板がある専用の焼き機でプレスしながら焼きあげて、甘辛いソースを塗ったもの。見た目は、お好み焼きや韓国のチヂミにも似ていますが、決定的に違うのは、その食感。たこ焼きやお好み焼きのようなふんわり感はなく、もちもちっとした弾力があり、薄いながらも食べ応え十分です。このコシの秘密は、たこ焼きやお好み焼きが薄力粉を使うのに対し、いか焼きは強力粉を使用するということ。強力粉は、グルテンと呼ばれるたんぱく質の量が多く、そのためもっちりとした仕上がりになります。また、焼くときに、かなり強い圧力ではさみ、生地の気泡を抜くことも、この食感を生む秘訣となっているそうです。
明石焼き 兵庫
「明石焼き」はたこ焼きに似ていますが、たこ焼きと大きく異なるのは、地元では「玉子焼き」と言われていることからもわかるとおり、ゆるめの生地に卵がふんだんに入ること。それと、ソースではなく、かつおや昆布のだし汁につけて食べること。この違いだけでも、明石焼きは、たこ焼きとはまるで異なる味わいになります。
丸く焼いてもお皿にとると平べったくなってしまうほど、明石焼きはふわふわと柔らかく、箸でつまむのも難しいくらいですが、その秘密は卵だけでなく、小麦粉のほかに混ぜられる「じん粉(こ)」にあります。じん粉は、小麦粉からグルテンを分離させた「でんぷん」のことで、普通は「浮き粉」と呼ばれます。ふわふわの明石焼きには、このじん粉が欠かせません。また、たこ焼きは通常、鉄板で焼かれるのに対し、明石焼きは薄い銅製の専用型で焼くお店がほとんどです。
明石焼きの起源についてですが、今からおよそ160年前の天保のころ、明石に「明石珠(玉)」という工芸品がありました。これは卵白を使用した珊瑚の代用品で、かんざしなどに使われました。卵の白身を使うので、黄身が余ってしまいます。そこで卵黄と、明石でよく採れたたこを使って「玉子焼き」が生まれたという説があります。
播州そうめん 兵庫
兵庫県の南西部、播磨地方は、揖保川の清流のおかげで良質な小麦粉がとれました。また、赤穂の塩が入手しやすい場所柄と、雨が少なく冬は寒冷な瀬戸内海式気候のため、古くより手延べそうめん作りがさかんな地域に発展しました。たつの市の寺院に残された記録によると、およそ600年前の日記に「サウメン」の文字が出てくるそうです。
「播州そうめん」は、小麦粉を塩水でこねた生地を熟成させながらのばしていき乾燥させて作りますが、その工程にはおよそ36時間を必要とします。麺線をひねりながら、ひたすらのばすので、小麦粉のたんぱく質、グルテンが複雑にからみ合い、強いコシをもつようになります。
つるつるっとしたのどごし、なめらかな舌ざわりの細い麺は、夏は冷やしていただくのが最高ですが、ゆでのびしにくいので、冬場の煮麺(にゅうめん)も人気です。そうめんを乾燥するときにできる太い部分を「バチ」と呼びますが、通常のそうめんよりも粘りが強いバチで作る「バチぞうすい」も地元ではよく食べられています。バチは生産量が少ないため、地元でしか手に入りにくいそうです。播磨の小京都、たつの市を訪れたら、召し上がってみてはいかがでしょうか。
にくてん 兵庫
兵庫県を中心とした地域では、お好み焼きのことを「にくてん」と呼ぶことがあります。見た目は大阪風のお好み焼きと変わらないですが、作り方が異なります。にくてんは、大阪のお好み焼きのように小麦粉の生地を具と混ぜ込んで焼くのではなく、鉄板の上にのばした生地の上に、キャベツ、ねぎ、肉、と具をのせていき、上から生地をかけてひっくり返すので、どちらかと言えば、広島風のお好み焼きに近い作り方です。
中にはさみこむ具材で特徴的なのは、牛すじとこんにゃくを煮込んだ「すじこん」。そばめし発祥の地として知られる神戸長田界隈では「ぼっかけ」と呼ばれ、酒の肴、うどんやカレーのトッピングとして人気が高い料理です。また、高砂市のにくてんには、角切りにしてゆでたじゃがいもが入ることが多く、そのほくほくとした食感が高い人気を誇っています。
肉の天ぷらでもないのに、なぜ「にくてん」なのかと言うと、「天かす」を使うからという説や、油をひいて焼くのが「天ぷら」を連想させるからという説、ひっくり返すから「転」などと、諸説あるようです。
そばめし 神戸
「そばめし」の歴史は意外と古く、その発祥は昭和30年代頃の神戸市長田区と言われます。“靴の街”として知られる長田区には工場が多く、そこで働く工員がお好み焼き屋で焼きそばを注文し、持参していた弁当のご飯と一緒に炒めてもらったのが始まりと言われています。これが裏メニューとしてじわじわと浸透していったようです。神戸を中心にいくつかのお店でメニューとして定着してからも、全国的に知られることはありませんでしたが、1995年、阪神淡路大震災の復興のニュースで、そばめしが紹介されたのをきっかけに、徐々に知られるようになっていきます。2000年ごろに冷凍食品が登場してからは、完全に全国区になったと言っていいでしょう。
肉や野菜、切ったそばを炒め、そこにご飯を加え、ソース味で仕上げます。どろっとしたピリ辛のソースを使うのが神戸流。半熟に炒めた卵をのせる「オムそばめし」も人気です。
三輪そうめん 奈良
「三輪そうめん」の歴史は非常に古く、一説によると今からおよそ1,300年前の奈良時代、現在の奈良県桜井市三輪にある大神(おおみわ)神社の神主が、地域産業の発展のために作ったものだと言われています。江戸時代、お伊勢参りの宿場町として栄えた三輪で旅人が食べた、「三輪そうめん」の味と名声は全国に広がり、江戸中期の書物『日本山海名物絵図』には「名物なり。細きこと糸のごとし、白きこと雪のごとし、ゆでてふとらず、余国より出づるそうめんの及ぶ所にあらず」※と紹介されています。
「三輪そうめん」が作られるのは11月から4月にかけての寒い季節。この時期でないと、コシの強い麺はできないと言います。基本的には江戸期からの「手延べ」製法が受け継がれていて、良質な小麦粉(強力粉)を塩水でこね、綿実油を塗りながら細く、長く、熟成をはさみつつ2日間をかけてのばしていき、機(はた)にかけて天日乾燥させます。その後は蔵の中での長期熟成です。
高温多湿の梅雨を越すことを「厄(やく)」と言いますが、これにより、コシや風味が更に増し、ゆでのびしない麺になると言います。2回梅雨を越した2年ものを「古物(ひねもの)」、3年ものを「大古物(おおひねもの)」と呼び、大古物のほうがよりコシが強い仕上がりとなります。夏は氷を浮かべて、冬はにゅうめんにしてシンプルに、麺自体のほのかな旨味や甘味、歯ざわりを楽しみながらいただきます。
※『日本山海名物絵図』の記述は、『小麦粉料理探求事典』(岡田哲 編/東京堂出版)より引用させていただきました。
「ご当地粉料理」は、『小麦粉料理探求事典』(岡田哲 編/東京堂出版)、『日本の味探求事典』(同)などの書籍、官公庁や地域情報などの各種ホームページ、地域住民の方への聞きこみ、弊社資料などによりまとめました。