小麦粉の歴史・文化 小麦粉の歴史・文化

小麦粉の歴史・文化

小麦粉として食べられる前

小麦や大麦は人類最古の作物のひとつとされ、今から約1万年前には、すでにその栽培が始められていたと言われています。このことは、これまでに発掘された多くの遺跡から小麦の穂などが発見されていることからも分かります。

当初は麦や雑穀類の混ざったものを、石と石の間にはさんで砕いてから焼いて食べていました。その後、土器が生まれると粗挽きにした麦をお粥のようにして食べたと言われています。

エジプト・ルクソールの壁画 [収穫の図](イメージ)
エジプト・ルクソールの壁画
[収穫の図](イメージ)

パンの誕生

今から約5千年前(紀元前3,000年頃)の古代エジプトでは、平たい石の皿に小麦の粒を入れ、その上から体重をかけて石ですりつぶすサドルカーンという石臼で小麦を挽き、それに水を加えてよくこねて、パンを焼いていたようです。ただし、この頃のパンは現代のものとは別のもので、平たく、ふっくらしてはいませんでした。

しかしあるとき、こねた生地をすぐに焼かないで放っておいたら、生地が大きく膨らみました。暑い国のことなので、空気中の微生物の中に天然酵母が入っていたものと思われます。
試しにこれを焼いてみると、これまでよりも柔らかく、美味しいパンが焼けました。これが私たちが普段食べている発酵パンの誕生だと言われています。

製粉の歴史

紀元前600年頃の古代オリエント時代になると、ロータリーカーンという回転石臼が考え出されます。上下2段の石を回転させることで、より粒の細かい小麦粉ができるようになります。ロータリーカーンの原理は、ヨーロッパや中国にも伝わり、次第に規模も大きくなり、水車や風車が使われるようになりました。

18世紀にイギリスで産業革命が起こり、ワットが蒸気機関を発明すると、製粉技術は大きく変化し大規模な製粉工場が登場します。
19世紀には、現在の製粉工場でも使用されているロール機も生まれ、ますます品質の良い小麦粉が作られるようになりました。

ロータリーカーン (回転石臼)(イメージ)
ロータリーカーン
(回転石臼)(イメージ)

日本人と小麦粉

日本でも弥生時代の中期頃には、水田耕作とともに麦類が畑作生産されていました。うどん、そうめん、きしめんにあたる麺は、7世紀ごろ中国から伝えられたものです。室町時代になると、おもに禅僧の点心(今でいうおやつ)として食べられていたようです。その後、日本の風土や嗜好に合うよう工夫されながら、日本独特の麺に育ってきました。

パンは、1543年、種子島に漂着したポルトガル船によって初めてもたらされたものの、江戸時代の間は、長崎において出島のオランダ人向けのパンがつくられていた程度でした。開国以降、西洋の食文化の普及や木村安兵衛による「酒種あんパン」の開発等により、大衆にも普及していきました。第二次世界大戦後は、学校給食などを通じてパン食が日本人の食生活に浸透していきました。

日本の小麦粉料理

日本にはバリエーションに富んだ小麦粉料理があり、各地域や家庭で楽しまれています。
日本全国の多様な小麦粉料理はこちらをご覧ください。

<出典>
一般財団法人 製粉振興会. 小麦粉ハンドブック. 2022, p.2-4.
一般財団法人 製粉振興会. 小麦粉の魅力-再改訂版-. 2022, p.54-55,67-68.
一般財団法人 製粉振興会. 小麦・小麦粉の歴史. https://www.seifun.or.jp/pages/92/