クリームパン誕生の秘密に迫る
あんぱんの元祖が銀座木村屋だということはよく知られています。では、クリームパンは誰が考えたのでしょうか?はい、新宿中村屋です。中華まんや純印度式カリーが有名ですが、日本ではじめてクリームパンを生んだことは大きな功績です。
法則①食べる人のことを思う
創業間もない1904年(明治37年)のこと。創業者である相馬愛蔵は、シュークリームを食べて、そのおいしさにたいへん驚きました。このクリームをあんぱんのあんの代わりに入れてみようと思いついたのが、クリームパンのはじまり。
当時の中村屋は、東大の正門前にあり、たくさんの学生がパンを買いに訪れていました。日本人はビタミンの欠乏症である脚気に悩まされるほど、食生活が豊かでなかった時代。お客さんに、クリームパンを食べて牛乳や卵を摂ってもらいたいという親心もあったのです。
法則②自分で考えて作る
クリームパンの発明の裏には、創業者の信念があります。「大事なことは、独創性。『人真似』でなく『自ら考え実行すること』が大事なんだと、相馬愛蔵は書き残しています」(広報の高橋由未子さん)
新宿中村屋といえば中華まんや純印度式カリー。外国人との交流の中で見出され、日本人の口に合うよう翻訳したものです。それだけではなく、月餅、ボルシチ、缶詰タイプの水ようかんなど、中村屋が手がけることによって日本に広がっていった食べ物は数多くあります。人をなぞるのではなく、自分の頭で考えるという「独創性」は中村屋のDNAになっています。
法則③技術の限界に挑戦
いま、クリームパンの伝統はどのように受け継がれているのでしょう? あなたの家の近くにある新宿中村屋の販売店に行っても、クリームパンを発見することはできません。クリームパンは現在、新宿中村屋ビル内のBonna 新宿中村屋だけで販売されるプレミアムな商品。
東京・笹塚のパン工房に、Bonna 新宿中村屋のクリームパンを作る松田隆行さんを訪ねました。新宿中村屋入社以来33年間、パン一筋に歩んできた人です。
実際に成形するところを見てみましょう。ピンポン玉ぐらいの大きさに丸めた生地を麺棒で伸ばし、そこにクリームを絞ります。けっこうたっぷり絞りますね。
「『こんなに入れたら、作るのが大変だよ』と社内で言われましたが、おいしいからこれでやろうと。限界まで入れています」
法則④職人の勘
餃子を作るのと同じ要領でクリームを包みます。あふれだしそうなほどのクリームをきれいに包めるのは、さすが熟練の職人です。
「生地のやわらかさとクリームのやわらかさ。硬さが合ってないと包めない。かといってクリームが硬いとなめらかさが消えちゃうし。職人の勘ですね。クリームを炊くとき、混ぜながらゴムベラの引っかかり具合で硬さを感じながら、仕上げます」
半月型になった生地に、切り込みを入れます。この切り込みによって半月型がグローブ型になるのです。
法則⑤伝統を守る
クリームパンといえばグローブ型というのが一般的ですが、実は、クリームパン誕生当時は半月型でした。
「カットが入ったのは戦後のこと。中村屋が元祖かどうかはわかりません。私たちが聞いているのは、空洞ができないように、切り込みを入れて空気を抜くんだよと。一説によると、日米野球にちなんで、グローブの形にしたとも言われています。このグローブ型だけは昔のまま大事にしています。奇をてらわず、まっとうに作りたい」
天板に生地を並べ、オーブンで焼きます。しばらくすると、きつね色に焼けた、おいしそうなクリームパンが出てきました!
すすめられるがまま1個食べさせてもらいました。すごくやわらかく、生地とクリームがいっしょにとろけていきます。クリームも生地も卵感が豊かで、贅沢な気持ちになります。
法則⑥リッチさ
濃厚さの秘密は配合にあります。
「卵をいっぱい使ったブリオッシュみたいな菓子パン生地です。中種(材料の一部分を使って作り、前もって熟成させておく種)は水を使わず、卵100%で作ります。本ごねのとき水は少量入れますが、乳製品も使わず、ほとんど卵だけで練ります。クリームも、牛乳、卵、砂糖、小麦粉、バニラビーンズのみと非常にシンプル。昔の配合とはちがっています。現代人と昔の人では嗜好のちがいがある。おいしい方おいしい方を追求していくと、昔の再現ではなくなっていきます」
発明当時の詳細はいま残っていません。では、伝統がそこにないかといえば、決してそうではありません。
「先輩は口で教えてくれない。やっていかないと身につかないもの。昔は厳しくされました」
昔の厨房は、質問すれば、鉄拳が飛んでくるような厳しい世界。先輩から後輩へ。発酵状態や水分量は数字ではなく、五感で感じ取り、体で覚えるもの。パンの作り方は言葉にできません。これが元祖のクリームパンであるとはっきりと言えませんが、松岡さんの一挙手一投足に中村屋の血脈はどくどくと流れているはずなのです。
「とにかく火を消さないことですね。元祖なんで」
またたくまに消える進化系クリームパン
ひるがえっていまのクリームパンを見てみましょう。ぜひみなさんに魅力を伝えたい一軒があります。東京・杉並区にあるkomorebiです。
持つと形がこわれそうなほどやわらかな生地に、クリームがぱんぱんに入っています。味わいは喉が焼けるほどに濃厚でありながら口溶けがすばらしく、パンとクリームがいっしょに溶けて、またたくまに1個がなくなります。
特別な素材、特別な製法
素材を大事にすることはkomorebiの原点。店主の斉木俊雄さんは、夏は毎年北海道の小麦畑に、生産者を訪ねます。素材の作られる現場を自分の目で確かめることであり、商品を作る上でのインスピレーションの元でもあります。
クリームパンの濃厚な味わいも特別な素材から生まれます。生地とクリーム両方に使われるタカナシ乳業『特選・北海道4.0牛乳』。成分無調整で脂肪分4.0という濃厚さ(法則⑥リッチさ)。斉木さんはこの牛乳が作られる北海道・浜中町も実際に訪ねています。
「牛が健やかに生活しているところのものを使いたいと思って。走れども走れども牧草地がつづく広々としたところ。牛には最適の涼しいところです。健康的に育つように、牧草の土壌から整える。値段は高いが安全でおいしい牛乳です(法則①食べる人のことを思う)」
バターも風味が活きるよう注意を払います。一般に、生地に入れるとき、効率を考え、常温でやわらかくしますが、斉木さんはちがいます。
「冷えてかちかちのバターを入れてミキサーをゆっくりまわします。高速でまわすと熱を帯びて、素材が劣化する(法則④職人の勘)。素材の風味を殺したら、いい素材を使う意味がない。もともとの素材感をお客さんに伝えたい」
生地とクリームがいっしょに溶ける!
おいしいクリームパンとはどういうものなのでしょう。斉木さんはこう考えます。
「生地とクリームが一体となっていっしょに溶けていくイメージ。そのために、生地をカスタードに近いレシピで作っています(法則②自分で考えて作る)。水分のほとんどは卵と牛乳、ほぼ水は入れていません。非常にやわらかくて扱いづらい生地なので、冷やしながら成形します(法則③技術の限界に挑戦)」
斉木さんは多くのアイテムの中でもクリームパンを大事に考えているそう。それはなぜなのでしょう。
「定番のシンプルなアイテム。それだけに、食べたとき、他の店とのちがいがわかりやすいと思うんです。見た目は同じなんだけど、食べたらちがう」(法則⑤伝統を守る)
伝統的なパンでおいしいパンを作れれば、お客さんも比較がしやすいので技術力が伝わりやすい。伝統を大切にすることは、パン職人・お客さん両方にメリットがあることなのです。
クリームパンが生まれて約140年。形も味の構成もほぼ変わっていないことがわかりました。そして、元祖の店(新宿中村屋)も、最先端の店(komorebi)も、伝統を重んじながら時代に合わせたイノベーションを行っています。そして、パンシーンをウオッチしていて私は思うのです。この現象、つまり、古くからある「日本のパン」を再発見することこそ、トレンドではないかと。