東北
はっと 東北
岩手、宮城、山形など、東北地方一帯で食べられる郷土料理「はっと」は、同地域の「ひっつみ」などと同じく、小麦粉を水で練った「すいとん」のような食べ物です。
「ひっつみ」は小麦粉の生地をちぎったものなのに対し、「はっと」は薄く紙状にのばしてゆでることが多いようです。また、「ひっつみ」は汁料理のことを指しますが、「はっと」は小麦粉を練ったもののことを指すことが多く、「ずんだはっと(ずんだばっと)」や「小豆ばっと」のように、汁に入れない食べ方も好まれています。「ずんだはっと」は、ゆでた枝豆を砂糖とともにすり鉢ですった餡に、ゆでた「はっと」をからめたもの。お盆に食べる行事食でもあります。
汁仕立てにした「はっと汁」は、身も心もあたたまる冬の定番。元々は家庭料理なので、味付けや具の種類もさまざま。お麩を揚げた「油麩」をのせることが多いそうです。岩手では、そば粉を柳の葉の形にのばしたもの(そばはっと)を野菜たっぷりの汁に投じた「柳ばっと」と言われる郷土料理もあります。
「はっと」の語源は、平安期にあった菓子「薄飩(はっとん)」がなまったものという説のほかに、あまりに美味しすぎて食べ過ぎは「御法度(ごはっと)」という説もあるようです。
ひっつみ 青森・岩手
「ひっつみ」の語源は「引っ摘む」。つまり、水でこねた小麦粉を食べやすい大きさに「ひっつんで」、だし汁の中に投げ入れて、具とともに煮込んだものが「ひっつみ」です。青森県南部から岩手県北部にかけて伝わる郷土料理で、「すいとん」の一種です。地方によっては「とってなげ」「つめり」「はっと」などとも呼ばれます。
だしは川魚や昆布、味付けはみそやしょうゆ、具材はにんじん、ごぼう、大根、ねぎなど、地方や家庭によってさまざまで、かぼちゃやあずき、かにをメインにした地方もあったようです。
耳たぶほどの柔らかさに小麦粉を練った「ひっつみ」が、だし汁を吸って味わいをかもし、さらに汁にはでんぷんが溶け出してとろみがつき、寒さが厳しい地方には打ってつけの料理です。
東北地方北部には、夏に北東からヤマセと呼ばれる季節風が吹いてきます。ヤマセが長く吹く年は、冷害に陥ることが多く、米も不作となってしまいます。そのためこの地方では、米の代わりに小麦粉やそば粉を使った粉料理が発達したのです。
南部せんべい 青森・岩手
基本は小麦粉と、塩、重曹だけ。これに黒ごまやピーナッツが加えられます。製法もいたってシンプルで、鉄製の鋳型に入れ、火に通すだけです。もちろん、素材の吟味や細かな部分に職人の技を要しますが、その味わいは素材通りのシンプルなもの。素材の味が活きているだけに、カリッとかむと香ばしい小麦粉とごまの風味が口中に広がり、さらにかみ続けると塩味の奥に甘味が膨らみます。
八戸や三戸、盛岡あたりで有名な「南部せんべい」は、旅の途中で空腹になった長慶天皇に、近くからそば粉とごまを手に入れてきた家来が、自分の兜を火にかけて焼いて差し上げたのが始まりという説がありますが、定かではありません。元々そば粉でつくられていたのは事実で、明治30年ごろから小麦粉になったと言われています。今では、若者向けにクッキー風にしたものなど、さまざまなバリエーションがあるそうです。
ところで南部せんべいの特徴の一つに、焼くときに金型からはみ出した「みみ」がありますが、地元ではこの「みみ」の部分だけ売っているお店もあります。「白せんべい」又は「おつゆせんべい」と呼ばれる、鍋物専用の固い南部せんべいもあり、これをさまざまな具とともに煮込んだ「せんべい汁」という郷土料理も、地元の人にとっては懐かしい味です。
がんづき 岩手・宮城
岩手県や宮城県を中心とした東北地方で、農作業の合間のおやつとして食べられていたという郷土料理「がんづき」。小麦粉や卵などの生地を一気に蒸して、しっとり、もちもちっとした食感に仕上げる、いわば「蒸しパン」のようなものです。しょうゆを加えることが多いので、和風テイストの懐かしさがあります。重曹のほかに、酢を加えるのがユニークですが、これは生地をふっくらとさせるためで、食べてみても酢の味は感じられません。
ほのかな甘味の元になるのは、黒砂糖や玉砂糖(はちみつと粗糖を煮詰めてつくる再製糖)。そのために、色は茶色っぽくなります。これを「黒がんづき」と呼び、一方で上白糖(白砂糖)や牛乳を加えて、白く仕上げたものを「白がんづき」と呼びます。
トッピングにするのはくるみや黒ごまがポピュラーで、丸く蒸された「がんづき」の上に散らばる黒ごまを、月と雁(かり)の姿になぞらえ「雁月(がんづき)」と呼ぶようになったという風雅な名の由来があるそうです。
まめぶ 岩手
「まめぶ」(又は「まめぶ汁」)は、岩手県の山形村(現在の久慈市)を中心に伝わる郷土料理です。文字通り、小麦粉の生地を豆のように丸めたものですが、その名の由来は、形状以外に「まめまめしく、健康に」という願いも込められているのだとか。かつて「まめぶ」は、お祭りなどの行事や、結婚などのお祝いのときによく作られたそうです。
昆布と煮干しのだし汁で、にんじん、ごぼう、しめじなどの野菜と、焼き豆腐、油揚げ、かんぴょうなどを煮込み、しょうゆで味をととのえたら、小さく丸めた小麦粉の団子を加えます。ここまでは各地に伝わる「すいとん」のような料理(東北地方なら「はっと」や「ひっつみ」)なのですが、ユニークなのは、この団子にはくるみ(お好みにより黒砂糖も一緒に)が包んであることです。一見すると素朴な汁料理ですが、団子をかむと口の中に広がる香ばしさ、そして甘味。不思議な料理にも思えますが、旧山形村では「まめぶを食べないと年が越せない」と言われるほど、郷土に根付いている料理なのだそうです。
盛岡じゃじゃ麺 盛岡
「わんこそば」「盛岡冷麺」と並んで「盛岡三大麺」と称されるようになった「盛岡じゃじゃ麺」。昭和28年ごろ、盛岡市のある餃子屋台の主人が、戦前に中国で食べた麺料理「ジャージャー麺(炒醤麺)」を再現したのがその始まりと言います。
日本の中華料理店で食べられるジャージャー麺の多くは、かん水を加えた中華麺ですが、「盛岡じゃじゃ麺」の場合はうどんやきしめんのような平たい麺が使用されます。ゆでたての麺に、シャキッとしたきゅうりとねぎ、その上に野菜の旨味を閉じこめた各店秘伝の黒い肉みそがのっかります。卓上の酢やラー油、おろしにんにく、おろししょうがなどをお好みで加え、自分好みの味にととのえたら、よくかき混ぜて肉みそを麺にまんべんなくからめてからいただきます。最後に、お皿に残ったみそをかき集め、そこに生卵を一つ落として混ぜ合わせ、店員さんに麺のゆで汁(又はスープ)をそそいでもらい、追加のみそや塩・こしょうで味付けしたら、ふんわり卵のスープに早変わり。名前も「盛岡じゃじゃ麺」から「チータンタン(鶏蛋湯)」(略して、チータン)に変わります。
盛岡冷麺 盛岡
冷麺は、朝鮮半島にルーツがあるとされていますが、「盛岡冷麺」はひと味ちがいます。朝鮮半島の冷麺は、そば粉主体のものと、じゃがいも(でんぷん)が入るものとに二分されますが、盛岡冷麺は、そば粉は使わずに、小麦粉と片栗粉などのでんぷんを用いて強烈なコシを出しています。やや黄色みをおびた半透明の麺は、初めて食べた人の多くが驚くような弾力をもちますが、牛肉や鶏肉、野菜などを長時間煮込んでとった甘いスープ、そしてキムチの辛味と酸味とあいまったとき、普通の冷麺とはまるで異なる複雑な美味しさをかもし出します。
具の定番は、ゆで卵・きゅうり・チャーシュー・ごま、そして、なしやスイカなど季節の果物。各名店が趣向を凝らせながら、味を競い合っています。
「盛岡冷麺」は、平成12年に公正取引委員会により、「札幌ラーメン」「長崎ちゃんぽん」と同じく、「本場」「特産」のような表示が認められました。
油麩 宮城
小麦粉のグルテンでできる麩は、その作り方から大きく二つに分類されます。一つは蒸したりゆでたりしてつくる「生麩」、もう一つが焼いて作る「焼き麩」です。これら以外に、宮城県を中心に作られているのが「油麩(あぶらふ)」。大豆油や菜種油で揚げて作る麩で、焼き麩よりも濃い色をしています。「仙台麩」と呼ばれることもあるようです。
焼き麩と同じように、おみそ汁やうどん、すき焼き、肉じゃがなどに使えますが、油麩から溶け出す油が他の具材に染み込むため、コクのある仕上がりになるのが特徴です。油がしつこくならないよう、具だくさんの料理に使うのがおすすめだそうです。
油麩の産地として知られる登米(とめ)市では、たっぷり汁の染み込んだ油麩を卵でとじて、あつあつのご飯にのせた「油麩丼」が人気なのだそうです。カツ丼や親子丼のような味わいで食べ応え十分です。
白石温麺 白石
宮城県白石(しろいし)市に伝わる名物麺が「白石温麺」。「温麺」は「うーめん」と読みます。材料は小麦粉と塩、水だけで、そうめんと同じなのですが、一般的なそうめんとは少し異なる点があります。
いちばんの違いは、油を使用しないこと。通常のそうめんは、麺をのばすときに綿実油などの油を塗りますが、白石温麺は油を使わないでのばしていきます。江戸時代に、ある孝行息子が病床の父親のために消化が良いようにと、油を使わないでそうめんを手延べしたのが始まりと言います。もう一つの違いは、麺が短いこと。1本の長さはおよそ9cmしかなく、少しでも食べやすいようにという配慮なのだそうです。
温麺の「温」は、このような「温かい心」からきたという説があり、必ずしもあたたかいつゆでいただくということではありません。
稲庭うどん 秋田
四国の「讃岐うどん」、名古屋の「きしめん」とともに、日本三銘うどんの一つとされる「稲庭うどん」は、今からおよそ400年前、慶長のころに羽後国雄勝稲庭村の佐藤市兵衛が始め、江戸期には佐竹藩が管理し、現在まで伝承されたと言います。当初はすべて秋田藩に献上されたため、庶民の口に入ることはありませんでしたが、次第に同業者が増えていき、明治時代以降、一般でも食べられるようになりました。
現在の秋田県南部、稲川町稲川地区周辺では、こだわりの手延べ製法で手間暇を惜しまないうどん作りを行っています。普通なら、うどんと言えば「手打ち」で、「手延べ」はそうめんの製法として知られますが、そこが稲庭うどんの特徴の一つ。良質の小麦粉を、奥羽山脈から湧き出る清水、塩でこね、「小巻き」「手綯い(てない)」といった、そうめん作りに近い手延べ工程を経ては熟成を繰り返します。1日から2日をかけて、一本一本、麺をのばしたら、乾燥させ、乾麺として仕上げます。麺の中にはたくさんの空気孔ができ、これが細麺でありながら、強いコシをもつ要因なのだそうです。
半透明にゆであげた稲庭うどんの身上は、そのコシと、なめらかなのどごし。ざるうどんが特に良く、冬は温麺にするのもおすすめです。
庄内麩 山形
小麦粉特有のたんぱく質「グルテン」を主原料とする麩には、京都や金沢が有名な「生麩」と、山形、新潟、沖縄などが有名な「焼き麩」があります。山形県庄内地方名産の「庄内麩」は焼き麩ですが、全国的にも珍しく、板のような平たく薄い形状をしています。
登場したのはおよそ300年前で、北陸と関西などを往来する交易船「北前船(きたまえぶね)」に積みやすいよう、板状になったのだそうです。ぬれぶきんなどをかけて湿らせてから、お好みの形に切り分けて使用しますが、現在は、あらかじめ一口大に刻んである「きざみ麩」も販売されています。
薄いのに煮くずれしにくく、味もしっかりしていると評判の「庄内麩」は、おみそ汁や吸いものはもちろん、煮ながら戻してすき焼きの具にしたり、その形状を活かしてミルフィーユのように重ねて調理することもできます。
どんどん焼き 横手
山形の縁日の屋台などで見かける「どんどん焼き」は、お好み焼きを割り箸にくるくると巻きつけたような食べ物。薄くのばした生地の上に、輪切りにした魚肉ソーセージ、四角く切ったのり、青のり、紅しょうがをのせ、生地を裏返したらソースかしょうゆを塗り、割り箸に巻き付けて完成です。
どんどん焼きのルーツは、東京で生まれた「もんじゃ焼き」と言われます。これを屋台を引いて売るにあたり、外でも食べやすいよう生地が固くなりました。また、宣伝のために太鼓をドンドン叩いたことから「どんどん焼き」と呼ばれるようになったそうです。じきに東京ではすたれてしまったものの、東北に伝播して進化したのが現在のどんどん焼きと言えます。
箸に巻くスタイルは山形で生まれたようで、同じ東北でも仙台のどんどん焼きは、円形または半月形。よく似ていて名前が同じでも、地域それぞれのスタイルが受け継がれていておもしろいですね。
横手焼きそば 横手
横手焼きそばの麺は、一般的な焼きそばのようなちぢれた細麺ではなく、ストレートで太め。通常は蒸し麺ですが、横手焼きそばは、ゆで麺のことが多いようです。具はキャベツのほかに、豚のひき肉を使用します。ホルモン入りが人気のお店も多いとか。ソースはお店によって異なりますが、やや甘めで薄味のソースが汁気があるくらいに麺にからみます。見た目の特徴は、半熟の目玉焼きと、紅しょうがではなく福神漬けを添えること。卵の黄身をくずして、ソースたっぷりの麺とからめると、普通の焼きそばとはひと味違うとうなずける、まろやかな風味が楽しめます。
横手焼きそばのルーツは屋台だそうです。戦後、屋台のお好み焼き屋さんが鉄板を使ってできる新たなメニューを模索するなかで生まれたというのが定説で、子どものおやつを経て、大人の昼食に、夕食にと次第に浸透していきました。
喜多方ラーメン 喜多方
喜多方ラーメンの歴史は意外と古く、大正末期から昭和初期にさかのぼり、そのころに登場した屋台ラーメンがそのルーツと言います。その後、ご当地ラーメンとして全国に名をとどろかせるようになったのは、1980年代のことです。テレビ放映や地域のPR活動のおかげもあって、今では「札幌ラーメン」「博多ラーメン」とともに、日本三大ラーメンの一つに数えられることも多くなっています。
喜多方ラーメンの特徴は、熟成多加水麺。つまり、水分を多く含ませ、じっくりと長時間ねかせることで、独特のコシとちぢれを生みます。極太の平打ち麺ですが、このちぢれにスープが良くからみます。具は、チャーシューやねぎ、メンマとシンプルですが、チャーシューはボリュームたっぷりのお店が多いようです。スープは、とんこつ(鶏がら、煮干しなどの海産物)をベースにしたしょうゆ味が基本で、「博多のとんこつ」や「札幌のみそ」のようなインパクトはありませんが、そのぶん、飽きのこない旨さと懐かしさがあります。
白河ラーメン 福島
四季の彩りも鮮やかな那須連峰をのぞむ東北の玄関口、福島県白河市の名物が「白河ラーメン」。今からおよそ200年前、白河藩主 松平定信公が冷害に強い「そば」の栽培を奨励したことが、白河市の麺文化の始まりと言われています。その後、小麦粉の入手が容易になってくると、大正時代には最初のラーメン店(当時のメニューは支那そばとワンタン)ができ、戦後になるとそばに加えてラーメンも庶民の食べ物として普及していきます。
白河ラーメンの特徴は、なんと言っても麺にあります。歯ごたえのあるちぢれ麺が、鶏がらベースのしょうゆ味のスープによくからみ合います。チャーシュー、メンマ、ねぎ、なると巻きなど、具材もいたってシンプルです。
まんじゅうの天ぷら 会津若松
そばどころとして全国に名高い会津若松の強清水(こわしみず)地区。この界隈のそば屋さんの暖簾をくぐると、「まんじゅうの天ぷら」という少し変わったメニューがあります。その名の通り、あんこの入った一口大のまんじゅうに衣をくぐらせて天ぷらにしたものです。
昭和10年ごろ、この近くにあった陸軍訓練場の若い兵士のために安価で提供されたのが始まりで、戦中は砂糖不足で姿を消したものの、戦後になって茶屋を中心に復活。会津地方では来客や催事にはつきものの家庭料理だと言います。揚げることであんこの甘味が増すそうですが、地元ではしょうゆにつけて食べるのがツウの楽しみ方だとか。素揚げにするのではなく、天ぷらにするのは全国的にも珍しいのではないでしょうか。
「ご当地粉料理」は、『小麦粉料理探求事典』(岡田哲 編/東京堂出版)、『日本の味探求事典』(同)などの書籍、官公庁や地域情報などの各種ホームページ、地域住民の方への聞きこみ、弊社資料などによりまとめました。